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「事務方業務担当?」
2017-08-21 Mon 16:20
さてここ数日はあれこれありすぎ&体調不良で、なかなか日記の原稿をまとめる余裕がなかったのざんすよ。


先ずは16日の柳田先生のご命日の追悼ギリプラダクシナは、通算400回目のそれとして無事完了。

本来ならそれについて何かしら書きたい感もあるが、大方のところは4年前の「通算300回」の際のあれこれで書いていたりもするので、そちらをご覧いただくとして↓

http://sirius02.blog6.fc2.com/blog-entry-1152.html


これで今回の滞在の前半のメインイベントは終了・・と同時に何か気が抜けたのか風邪を引いたようで(ずっと喉の奥に違和感があったが)、17日は朝から体調不良、胃腸の調子までおかしく朝食はどうにか食べたものの、何と昼食を抜く羽目に(笑)。


結局17日はそのまま絶食。

ちとふらついたりしてしんどかったが、17時に帰国するH氏の出発見送りへ行き(リシケシのHさんもこの日の出発・・早朝だったので見送りなし・・笑)、ネカフェへ行ってこれからやってくるFさんあて最後の業務連絡を送信すると共に、

先日書いた「アシュラムから相談された『実務的問題』」についての続報がきていたのでそれを読む。


おお、懸念した展開とはならず日本側の関係者がこの件に関して快く対処してくれたではないか!!



で、その「実務的問題」というのは、アシュラムのアーカイブ管理セクションが抱えていた問題なのざんすよ。



2003年にアシュラムでは「アーカイブ管理専用棟」を建設し、そこのみは「空調」が効いていて、ラマナが日常的に使われていた生活用品や各種写真のネガ、さらには「遺髪の一部」・「切った爪の一部」・「抜いた歯一本」も存在するのだが、

それらの他に、1896年8月にラマナがマドゥライの叔父の家からアルナーチャラに向かって出発する際に「家族あてに書き残した手紙」から始まって、ラマナがその生涯に直接書かれた「手書き文章」というのは全部残されている・・・のだが、どれも100年ほど昔の「紙」であるからインドの苛烈な気候と相まって、やはり「経年劣化」が進行している(もちろん既に「デジタル・データー」化作業は済んでいるが)。



そして世界中どこの博物館や研究機関においても、これらの「歴史的古文書」の補修作業に当たっては、「日本の特殊な和紙」が使われている!!・・・という事実があって、つまりアシュラムでもこの「日本の特殊な和紙」が使われているのだが、

そもそもそれらに関しては20年ほど前に、アシュラムから相談された故・柳田先生が日本ラマナ協会のミッションとして、アシュラムに寄贈した・・ところから始まっているのである。

http://www.papernao.com


今回その「補修用特殊和紙」の在庫が尽きかけてきて、アシュラムが日本のメーカーに注文したものの、銀行のシステム上の都合か何かのせいで「決済が出来ず」、福間さんの協力であれこれアプローチしたもののどうにもうまくいかなくて、話が宙に浮いたままになっていた・・のですな。

(因みに「インド関係の銀行でうまく決済出来ない」話は、他にも最近耳にする・・私の知人が主催するある勉強会グループもこれまで毎年「銀行送金」でアシュラムにドネーションしていたのに、今年はなぜがそれが不可能なため、知人から「代わりに直接ドネーションしてきて頂けませんか?」と今回現金を預かってくる・・という一幕もあった)



そしてよりによって折悪しく、シュンニャさん他定住する日本人がたまたま長期不在OR動けない状況の上に、柳田先生と親交があり日本ラマナ協会との窓口的な存在でもあるゼネラル・マネージャーのマニさん(「ラマナ・ファミリーの一人、ラマナの甥っ子の子息になる)も、ご子息が住んでいらっしゃるアメリカに逗留中・・・という状況。



そんな時にたまたま、ぐうたらと「食って寝て歩く」だけの私が滞在していたわけで、アシュラム側としてはいわば「藁にもすがる」思いで、この私ごときに「何か良いアイディアはないか?」とダメもとで相談してきた・・次第なのざんすね。



要するに私は「日本側の関係者」に連絡しただけなのだが、その方々が快く事態を収拾して下さっただけでなく、ちょうど結果的にそれもまた柳田先生のご命日と重なり、

関係者からも「これは柳田先生にはめられましたね(笑)」と言われていたわけだが、しかしよく考えると私は「アシュラムの代理人」でも「日本側の窓口」でもないわけで、

何だか今回は「コーディネーター」みたいな役割だよなあ・・これもバガヴァンが私を「道具として使っていらっしゃる」ということなのだろうか?(笑・・結果的に「点数稼ぎ?」みたいな格好になってしまったし)



それはさておき、17日は夜になっても体調は回復せず、胃腸薬・感冒薬・鎮痛剤いろいろ試すはめになってしまった。


そして18日もまだふらつく感じで、胃腸の具合は絶食により不快感は無くなったが食欲復旧とまでは行かず、朝食はクラッカーとチョコレート・昼食もまたクラッカーと「あさりとごぼうの味噌汁」に留める仕儀になった。


しかし「宿替え」の日なので、休んでいるわけにもいかない(笑)・・・どうにか荷物を移動したら、やはり話はスムーズにいかず予定していた26号室は2日後からにしてくれ・・となって、H氏が出た後の20号室へ。

夕方レジストレーションの際にマネージャーから「残金は?」と聞かれたので、「26号室に移動してから払う」と意趣返ししてやった(笑)・・まあ実際手元に残金分4000ルピーはなく両替する必要があるざんすからね。

夕食は久々に「フルーツ&ミルク」を頂く。


宿のWi-Fiは部屋内ではやや電波が弱いものの、とりあえずサイト閲覧やコメントのやりとり、ラインのやりとりには問題はないし、通路のベンチに出れば電波が強くなるようだ・・・案外26号室はもっと感度が良いのかもしれない。

ただし停電になると、非常電源はWi-Fi設備をバックアップしてないようで不通になってしまいますなあ(笑)。



H氏は無事に大阪に到着したようだが、多分その帰り便のフライトで旅だったFさんは、クアラからFBに投稿していた。

ロビーで旅慣れた日本人親子と仲良くなってあれこれ教えてもらったり、一緒に夜明かしすることになったらしい。



19日の昼食は久々にアシュラムのランチを少量頂くが、胃腸の方はほぼ正常に復旧・・Fさんへの説明を兼ねて珍しく夕食を頂くことに。


そしてシュンニャさんが本日帰国・・あれこれ話したのだが、彼女は「なかなか素敵な将来ビジョン」を描いていて、それはラマナに共感する日本人信奉者たちにとって大いに福音となるだろう!!

・・と賛同する内容だけに、そのヴィジョンの実現・遂行にあたっては、私も「宣伝屋・案内屋」として全面的に協力する所存である。



初訪問者Fさんは大方の予想通りに12時半頃到着、色々細かいトラブルはあったものの先ずは無事に到着でやれやれですな・・彼女は何と「海外旅行自体が初めて!!」なのに、独りでここまでやってきた勇気にあっぱれざんすね!

たまたまあてがわれたゲストルームが、私が滞在していた「旧図書館を改装した建物」内の部屋(1階)だったので早速先日日記でも紹介した「屋上の絶景」をご案内。



そして20日はご案内で久々に登山道を歩き、スカンダ・アシュラム~ケーヴ~大寺院へ。やはり奥の院は「非ヒンドゥ入場禁止」のままであった。まだ完全には健康状態が回復していないのか、登山道ご案内でも予想以上にくたびれて、食欲不振のままである。



26号室への移動もまだなので、部屋内が整備できないしせっかくWi-Fi場接続になっているのに、滞在日記原稿を書く暇がなかった・・・のを夜更かししながらようやく書き上げた次第。


シュンニャさんからもちょっとした頼まれごとがあって、後日やってくる相棒にその件を打診したら、「運び屋」は引き受けるが他の事務処理は面倒だからそっちでやってくれ!・・とつっぱねられ、ああまた仕事が増えて誠に面倒臭い!!(なんだかまたまた「コーディネーター」みたいな役回りではないか。


・・・これで本日21日午後には「リシケシの佐々木夫妻(奥方が私の住む鴻巣の家の家主なのだ)が来るし、22日には大阪の「浮き世離れ
したとっぽいねーちゃんの『6番弟子』もやってくる・・わけで、ますますわさわさするではないか!!(笑)



まあこれも大義としてみれば「カルマ・ヨーガ」なのかもしれないが
、かくして私は「探求者・修行者」ではなく、「事務方業務担当?」みたいな生活の今日この頃なのざんすよん、わはははは・・・・・!!
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