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「羨望」は案外お互い様かも?
2018-05-20 Sun 17:25
さて先週の日曜にようやく懸案事項であった「伝記」解説ファイルの掲載・公開にこぎつけたわけであるが、

http://www.geocities.jp/ramana_mahaananda/information/ramana-denki.htm


基本的にラマナ関連書籍にあって「ラマナの教え」をメインとしているものは、当然ながらその「非二元論」や「ジュニャーナ・ヨーガ」の内容が豊饒に展開されているわけであり、

「私は誰か?」という真我探求・・・霊性の道の王道でもあるその命題に対して、インド哲学や宗教が展開する「論理整合的」&「学究的」アプローチに己の実存をかけて挑む「求道者・修行者」にとっては、それらはとてつもなく魅力的な地平として対峙する書籍群である。


しかしながらサンスクリットによるインド哲学専門用語がふんだんに登場してくる・・ことにもなり、いささか晦渋な趣も呈することになりがちではある。

とりわけ私のように「浅学非才」で「修行者」とは言い難い怠け者には、実は「夢中になって読める」様な本ではなかったりもする・・わけで、「こんなの難しすぎてわけが分からん」・・・というのが本音だったりもするわけざんすよ(笑)。


ところがこの「ラマナ・マハルシの伝記 賢者の奇跡」は、翻訳された福間巌氏の「訳者あとがき」の中での言葉にあるように、

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数多くの帰依者にとって、マハルシの生き方はそれ自体が言葉を越えた純粋な教えだった。

彼の眼差し、彼の沈黙、彼の微笑み、彼の愛、言葉で表された教えだけではつかみきれないマハルシから放たれる真我の輝きを、著者アーサーの繊
細な文章の背後に感じ取って頂ければ幸いである。

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というわけで、文面から溢れ出るように迫ってくる著者の熱気・・・それは「至純なるバクティ」がもたらす熱いエネルギーであり、とりわけ最後の方の章で、入滅以降~現在にあってもラマナは「肉体なきグル」として臨在されているのだ・・・ということが感動的に描かれていて、

そこに容易に賛同・感情移入できる「信奉者」にとっては、まさに我が意を得たり!!となる・・のである。



ところで、福間さんのこの本に関するエピソードとしては、

「私が19歳だった79年にブッダガヤの仏教寺院に滞在中、この書籍の原著を読んだ・・のが、最初のラマナ書籍でした」

とコメントを寄せてくれたわけだが、


ひょええ・・私は福間さんとは1つ違い(学年は同じ)なわけで、79年といえば私は海上自衛隊初年度だもんなあ・・・そのころ既にインドに行って(大学1年の学生旅行ということかな?)、英語書籍でラマナを知った・・というのは、ちょっとかなわない貫禄というか、羨ましいというかいささか複雑な思いなのであった。



更には関わりの深い劇団である「TAICHI-KIKAKU」の初海外公演が30年前で、

http://taichi-kikaku.com/TAICHI-KIKAKU_huo_dong/koremadeno_huo_dong.html


私が「自主制作ビデオ作品」制作などの、「自己満足的・井の中の蛙的」な活動に終始していた時代に、既にオーハシさんたちはそのような画期的な活動を始めていた・・わけで、

その辺りも同じように「それに比べると自分は・・」という、どうにも「忸怩たる劣等的心境」に落ち込んだりもするのですなあ(笑)。



でそんなことをつらつら思いながら、久々にTAICHI-KIKAKUが主宰する「身体詩&ソウルハンドダンス・ワークショップ」へ参加。


前述のように、演劇人としてのオーハシさん(4歳上)そしてヨシダさん(同い年)のような存在&活躍ぶりは、「挫折した演劇青年」の私からすれば「あんな風になりたかったなあ・・」という羨望の対象なのだが、


一方でそのご両人だけでなく少なからぬ方々が、

逆にこの私の無為徒食なる「専業無職」にして、こんな具合に「お気楽脳天気!」に生きている(いられる)という「特殊なあり方・人生模様」を、

「(憧れとまでは言えないまでも)いささか『羨ましく』感じている」

・・・のだそうな。


かくして案外「羨望」はお互い様、なのかもしれないざんすねえ(福間さんも私のことを「幸せな人生ですね」と言っていたような覚えがあるし・・)



さて肝心のワークショップでのインプレッションとしては、

あらためて現在取り組んでいる「Kegon プロジェクト」における「身体奏法」・・・身体からの・身体へのアプローチによる、

「祝福せし踊る(躍る)道化」というキャラクター・ヴィジョン

のよりビビッドな再認識、とでもいうところだろうか?


それでふっと去来したのは「体現」という言葉で、

「体を現す」

・・「ある理念的な対象を、五感で捉えうる『客体』として現す」

と同時に、

「体で現す」

・・「ある理念的な対象を、『身体』という道具・チャンネルを通じて現す」


というようにも読み解けるよなあ・・・なのざんすねえ。


そしてまた今現在は「内側に向かう」ベクトルが支配的な状況・状態であるにしても、やはり「外側へ向かって表現・体現する」ことへの希求は、常に深層領域で律動している・・・わけで、ここら辺が私自身がイマイチ「非二元論」に完全には与し得ない?理由でもあるだろう。


むしろ「陰陽の太極的二元論」的なパラダイムの方が心情的にフィットする感じなのだよなあ・・・もっとも誤解を恐れずに言えば「真我=太極」なので、これはインド哲学と老荘思想の「表現の違い」なのであって、陰陽という2元が根本なのではない・・陰陽は「表出されてくるもの」ざんすからね。



そういう意味ではこの「身体的アプローチ」への取り組みということも、そろそろ本腰を入れなければ・・・というのは毎度の繰り返しなのだが(笑)、何となく「ううむ、これが第28次インド計画終了後のメイン展開かな?・・」という想いが頭をよぎったざんす。



そして先日訪問してきた三保の松原の「羽衣伝説」から展開されている「舞踊」というフェイズのインプレッションは、どうしても「至福のお神楽」へのアプローチへと直結してくるし、

富士山は見えなかったものの、ビーチの風景はテトラポッドの埋もれ具合などが結構シュールなアート的感興をもたらしてくれた。


加えて再訪した三島&三島大社の地質学特性は、「バリ島・ティルタガンガを想起せしむる」に十分な感慨だけに、こうなってくるとなんだか「第28次インド計画」では「インドの後でティルタガンガへ・・!」ということを前向きに検討したくなったざんす。

・・具体的には一昨年の「第26次インド計画」の旅程におおよそ準ずる格好になりそうな感じかな。



先日観てもらった手相のご託宣では、

「今現在取り組んでいることは、59歳の頃(2年後ですな)に成就する(形になる・体現する)」

ということだけに、何かこう取り組むモチベーションを惹起させるだけのインパクトのある突破口?を発見したい・・ものなのだが、それを具体的に試行錯誤するには、かって私の「トレーニング・キャンプ」地?だったティルタガンガは持ってこいの場所ざんすからねえ、わはははは・・・・・!!



(となると昨年噴火した「アグン山の現状はいかに?」もリサーチする必要もある・・最近はハワイも噴火したし、太平洋地域の火山活動が活発化してきてますなあ・・富士山もあるいはそろそろかも?)
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