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「根拠無き大確信」を生きる!
2018-06-20 Wed 22:17
先日の新幹線のぞみ車中での殺人事件、そして先月の名古屋でのネカフェ殺人事件・・・どちらも平穏な日常生活の中に突如出来した凶事であり、何ら関係のない男性が加害者の凶刃に倒れてしまった痛ましい事件であった。


どちらの犠牲者も事件直前まではまさかそのような事態に自身が直面するとは夢にも思わなかったであろうだけに、ネット上に寄せられた哀悼のコメントに「さぞかし恐怖であっただろう・・」と書かれているものが圧倒的に多い。


大多数の第3者にとってそのように想像するであろうことは無理もないのだが、私の見解としては「少なくとも『戦闘中』にあっては『恐怖』は存在しなかっただろう」と思いたい・・・というのには訳がある。



本日20日は私の人生における大変重要な意味を持つメモリアルデーなのだ・・・・通称「刃傷事件」から本日で満13年となるのである。


つきあいの長い友人・知人の皆様には「何を今更」であるが、この1年間におつきあいが始まった方向けに説明すれば、


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2005年6月20日午後10時半頃、当時居住していた東京・東中野のアパートの玄関先路上にて、同じアパートの住人で「アルコール依存症」&「被害妄想狂」の男性(60代半ば)に、包丁で襲撃され大立ち回りを演じた挙げ句、


左胸に3カ所傷を負い、一つが肺部深さ5センチ損傷、推定出血4リッター・・一時は生命の危機に瀕する局面もあったらしい。

東京医科大学付属病院の集中治療室に緊急搬送され、輸血と開胸止血手術、及び左掌数カ所切り傷(相手の包丁を握ってしまったので・・笑)で中指の知覚神経一部断裂のため縫合手術・・・結局全治1ヶ月の重傷となった刑事事件ざんす(その後加害者は殺人未遂罪で懲役6年の刑に服した)。


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・・・私はこの40年間に医者に行ったのは3回しかないがそのうちの直近の1回がこれであり、以降医者に行ってない&この日以来「完全禁煙」継続中ざんすよん。



写真は本日撮影した「13年後の傷跡」。

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いささか醜いというべき様相なので女性ならばどうにかしたいと悩むことだろうが、野郎にとっては特にどうということもないざんすね。

身体内部の感覚はもうほとんど違和感は解消されてしまったのだが、左手中指の知覚異常はあまり回復せず現在に至る・・まあこれは当時の主治医の説明によれば、どうやら「死ぬまでのお付き合い」のようだ(笑)



多くの人がこの事件を「災難でしたねえ」と言ってくれたが、私の心境としてはこれは全く予期しなかった「大死一番」の局面に立たされた契機であり、

「ラマナ=アルナーチャラへのバクティ」という超越的絶対性の「信仰の確信」を得る結果となったわけで、その後の「南無大師遍照金剛」体験と「クール・アーナンダ」体験と並んで、ラマナ=アルナーチャラ・バクタとしての「信仰の確信」の中核となった、とてつもない宗教的僥倖であったのだ。


ここらへんの詳細な解説は、来る24日に「臨在サイト」へ掲載予定のエッセイ「余はいかにしてラマナ信奉者となりしか?」その10の方にあらためて展開する予定なので、関心のある方は是非お読み頂きたいざんす。


http://www.geocities.jp/ramana_mahaananda/personal-holder/essay.htm




で、その「刃傷事件」に絡んだ記事として、「恐れ・不安」とは想念の産物でしかない・・・ということを徹見した(つもり)だが、↓


http://sirius02.blog6.fc2.com/blog-entry-550.html



それでもこの「リアルな幻覚」には、ややもすると巻き込まれがちである・・・というのが現状なのですなあ(笑)。



ところが、今年はこの件に関して面白い展開があって、それは4月に観てもらった「手相」からもたらされたインプレッションなのである。


その手相に関しては既に記事にしたわけのだが、

http://sirius02.blog6.fc2.com/blog-entry-1559.html


一つ詳しく言及しなかった内容があって、それは「私は大丈夫なのだ!」というアフォメーションが思った以上に強力に影響を及ぼしている・・ということである。


結局「不安・恐怖」というものは、それに対応して「物理的・実際的な」防衛対策をどれだけ頑丈に整備できても完全には払拭されないわけだが、それらは究極のところ実体無き「心理的」虚構であるからには、同様になにかしら「心理的なサジェスチョン」というものの方が、結構役に立ったりする・・・ということだろうか?


私自身の中には「不安・恐怖」と拮抗するように、生来の直感的な「根拠無き確信」とでもいうものがやや優勢気味にバランスをとり続けてきたわけだが(でなければ「専業無職」などと嘯いてはいられない)、4月の占いのご託宣の内容というのは、その「根拠無き確信」を更に高めてくれた・・・のですな。


何というか自分独りだけの漠然とした「根拠無き確信」であったものが、手相を読んでもらうという形式を通して、あたかもそれが「真実として証明された」かのような「妙な安心感」が付与された・・・とでも言えばよいのだろうか?



「安心感」と表現するとそれは「安心」当の物それ自体ではない・・のだが、そもそもそれは最初から存在しないのである。

そして「不安・恐怖」というのも実際に我々が苛まれるのは「不安・恐怖」という実体的対象それ自体ではなく(これも存在しない)、あくまでも「不安『感』・恐怖『感』」なのですな。

・・要するにそれらは「感」なのであるから、感じられる対象が「不安・恐怖」から「安心」に置き換わればよいわけざんすね。


今回はそもそも「観てもらった状況」自体が大変好ましいフェイズだったわけだし、「過去のあれこれ」を見事に読み取られたという強力な信頼度の上のでの「ご託宣」であるから(「刃傷事件」も「この時期に何かとてつもなくシビアな体験をされませんでしたか?」と読みとられたのだ)、


手相ほか占いの「ご託宣」とは、ある意味で「御神意の啓示」の一端が、リーディングという営為を通じて顕現されているのだ・・・というように捉えるならば、私の場合の「お気楽脳天気!」な未来予測は、謂わば「神様による『安全保障』・・神様保険・神様年金・神様恩給云々」みたいなものである(笑)。



もちろんだからといって「放蕩三昧」をどんちゃかやり続けても大丈夫!!・・・とはならないのはもちろんである。


この神様による「安全保障」なるものはあくまで「恩寵」なのであって、決してこちらからの働きかけによる「取引」「対価」「契約」ではないのだから(そのようなものに成りよう筈がない)、

既に受けている恩寵そのものを常に意識できるような心身状態であることが最上であり、その恩寵への「返礼」に相応しい生き方・在り方を志向し続けていく・・のが「バクタ」としての筋であろう。



しかしまあそれはそれとして、実際問題としてこの「私は大丈夫なのだ!!」という根拠無き大確信を「リアルに実感・体現」して生きていく!!

・・・これこそが、「お気楽脳天気!!」の肝ざんす。

おお、皆の者よ、こぞって「大日本お気楽脳天気教」を信仰するがよろし!! 私はその教祖であるぞよ、わはははは・・・・・!!



付記 理想は「無責任男」ですなあ!!

「神に明け渡した者」はその後の人生は無責任で生けていける!!・・のざんすよん。





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